旧世紀面 | 世界はまだ、痛みの中にある
豊かな国でも、女性は家の中で殺されている
――ヨーロッパ、フェミサイドという名の死
これは遠い国の話ではない。ヨーロッパで女性が殺されるとき、その多くは戦場でも路上でもなく、自分の家の中で、最も近しい相手の手にかかっている。二〇二四年、EUで親密なパートナーや家族に殺された人のうち、女性は男性のほぼ二倍。加害者の六割は、夫や恋人、家族だった。EU全体で、三人に一人の女性が十五歳以降に身体的または性的暴力を経験している。それでも警察に届け出るのは、パートナーからの暴力でわずか六パーセント。恥、自責、恐れ、そして制度への不信が、女性たちを沈黙させる。数字は氷山の一角にすぎない。「家庭内の悲劇」と呼ばれるものの多くは、予測でき、防げたはずの死である。
新世紀面 | それでも、光は生まれている
「家族の問題」ではなく「予測できた死」
――ヨーロッパで進む、女性を守る新しい法
痛みの現実に、社会は動きはじめている。イタリアは、女性が関係を拒んだり自由を求めたりしたことを理由に殺された場合、終身刑を科す法律を可決した。フランスでは、四件のフェミサイドが続いた週の翌日、五十以上の新しい対策を盛り込んだ法案が議員から提案された。身体への暴力だけでなく、銀行口座を握るような支配からも女性を守ろうとする内容だ。ブカレストの抗議のバナーには、こう書かれていた――「これは家族の悲劇ではない、予測できた死だ」。市民の声と、それに応えようとする立法。EUは二〇二四年、女性への暴力を犯罪と定める初めての域内指令も導入した。名前を持たなかった死に、社会がようやく名前を与えはじめている。
今日の言葉
「家族の悲劇」と呼んで、
目を伏せてはいけない。
名前のない死に名前を与えることが、
次の一人を救う。
ノアNOA ― 母であり、世界を背負う者